虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
高校入学、闇市に通う(2)
海城高校に入学した私は、徐々に悪餓鬼仲間の間で頭角を現しはじめた。小学校時代からも、よくけんかをしたり、学校をサボって遊びほうけたりしていたが、高校になると、いよいよその活動も本格化しはじめた。
まず、父親が持ち帰った、ペニシリンなどの薬品を医院から隠れて持ちだしさっそく、闇市で売りさばいた、これは貴重品なので非常な高値で売れる。また、いわゆる「第三国人」として、政府からの配給が食べきれないほどあった。家族に内緒で砂糖、バター、タバコ、米軍放出のばかでかい海兵隊用の肉の缶詰などのクーポン券を、新宿西口の闇マーケットに持っていくと、とてつもない値段で売れてしまう。タバコなども飛ぶように売れた。当時、街ではアメリカタバコが一五円、カレーライスが八〇円ほどで売られいた。しかし、物がない。だから、この闇市では一◯倍、二◯倍の値段でまたたく間に売れてしまう。
毎日のように、この闇市にクーポン券やたばこを売りにくる私は、その闇市を仕切っていた尾津組のやくざたちにけっこう可愛がられた。
学校にもほとんど行かなかった。たまに行く時は校門の前に立って、登校する生徒から番長みたいに「かつあげ」させる。私は番長のマネージャーのような立場で、番長の横でみんなのかばんをあけさせたり、靴下に現金を隠したやつの靴下を脱がせたりと、身ぐるみはがしてお金を巻きあげていた。ひとり一◯◯円から二◯◯円、中には五◯◯円も持っているやつもいて、あっという問にけっこうな額になる。先生に垂れ込んだりするとあとでそいつは袋叩きにあう。だから、お金をとられてもみんな黙ってすごすごと行ってしまう。私たちは悪餓鬼仲間四〜五人で稼いだ金をたっぷりポケットに入れて、歌舞伎町に繰りだすのが日課だった。
・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く
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マスコミの連中から毎回、同じ質問を浴びせられるのだ。
「何でこんなことするんですか?」と。
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