畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その2
ピンチョン自身にしてみれば、これは男根的サイボーグ小説『重力の虹』を現在的視点より補完する意味においての、去勢主義的フェミニスト・サイバーパンクの実験にほかならないかもしれないが、このような構図には、明らかに日本的文脈において既視感(デジャ=ヴユ)を覚える部分が色濃い。というのも、女性になぶられる男性像をあくまでポスト六〇年代的に描くかのように見えるこのシーンは、角度をずらせば、まさしくアメリカ人に叩かれる日本人という、あまりにも直截的に一九八〇年代人種政治学を反映したシーンとしても理解できるのだから。
そう、このくだりは明らかにジャパン・バッシングとして読めるのだ。そして、ここにさしかかった瞬間、まさしく絶妙な暗合を成すもうひとつのテクストとして脳裏をかすめたのが、すでに四半世紀以上も前に、アングロアメリカならぬ我が国において、やはり白人女性による日本人男性の洗脳=飼育=家畜化を徹底的に描破していたもうひとりの隠遁作家・沼正三の手になる長編小説『家畜人ヤプー』だった(『奇課クラブ』一九五六年一二月号より連載開始、都市出版社版一九七〇年/角川文庫版一九七ニ年)。
白人女性が覇権を握った四〇世紀、黒人は奴隷に、日本人は家畜兼家具の生体材料にされている未来世界。かねてよりSM小説ないし変態性欲小説とばかり評価されており、そうした見解もまた必ずしも外れてはいない作品だけれど、現在のパースペクティヴからすれば、むしろ『古事記』など日本神話を脱構築する小説実験と同時に、人種・性差・階級の言説的前提を反転させる新歴史観を提出しえたテクスチュアリティが切実に迫る。もちろん、当時でも三島由紀夫や澁澤龍彦をはじめとする少数の読み巧者たちによって、きわめて本質的な理解が示されていたのを、忘れてはならないだろう。
・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く
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時間と空間を超えた一大叙事詩『家畜人ヤプー』の、謎に包まれてきた覆面作家、沼正三。三島由紀夫をして、”天才”と呼ばしめたこの作家の正体を、私はいま、東京高裁民事四号法廷の裁判長席に、二十六年ぶりに見い出した!
三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事
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