奇書めぐる謎、一応の区切り・天野さん死去「ヤプー」作者も消える(京都新聞(2008年(平成20年)12月23日 火曜日)

奇書めぐる謎、一応の区切り・天野さん死去「ヤプー」作者も消える(京都新聞(2008年(平成20年)12月23日 火曜日)

十一月三十日、著述家の天野哲夫さんが肺炎のため八十二歳で死去した。天野さんと因縁深いのが「戦後最大の奇書」と呼ばれる小説「家畜人ヤプー」。作者は覆面作家の「沼正三」だが、一時期、天野さんが自分で作者だと名乗り出たこともあった。「ヤプー」の作者は誰かという論争は戦後文学史の中でもとりわけ謎めいているものの、天野さんの死で一つの区切りを迎えた。

一九七〇年の単行本出版以来、プロデューサーの康芳夫さんが「ヤプー」 作者の「全権代理人」を務めてきた。康さんは「沼正三と称されていた人物は亡くなった」と言う。

その人物が亡くなった日が天野さんと同じことは認めるが、「言えるのはそれだけ」と、同一人物だとは明言しない。天野さんの遺族は「康さんに連絡を取ってください」と話すだけだった。

「ヤプー」はSF小説の形をとった性的で政治的な作品。白人が支配する未来の宇宙帝国で、日本人が改造されヤプーという奇怪な奴隷として使役されるという設定。作家の三島由紀夫が絶賛して注目を集める一方、白人貴族アンナ・テラスが天照大神(あまてらすおおみかみ)という記述などについて物議を醸した。

沼の正体をめぐっては、三島説や作家渋沢龍彦説、文学者たちの複数説など、発表後からさまざまな推測を呼んだ。

八二年、月刊誌「諸君」に東京高裁判事(当時)の倉田卓次さんが作者だとする記事が掲載された。倉田さんは全面的に否定し、新潮社に勤務していた天野さんが「私が沼正三」と名乗り出た。

天野さんは八四年にも、山形新聞に寄稿した工ッセーの自筆略歴で「ヤプー」を自著としたが、その後のインタビューでは、自分は沼正三の代理人と述べるなど、あいまいさを残した。

一方の倉田さんは天野さんと文通しており、文筆家でもあったため、文壇では倉田説もくすぶり続けた。

倉田さんは二◯◯六年の回想記で、作者「A」に「ヤプー」のSF的な部分のアイデアを提供したと明りかにしたが、作者であることはあくまで否定。天野さんが亡くなった後の取材にも、家族を通じて「全く関係ありません」とした。

康さんは「私が代理人をして四十年近く、一切のトラブルはなかった。沼正三が亡くなったということだけでは納得できませんか?」と述べる。

同時にアントニオ猪木とムハマド・アリの対戦などを仕掛けたプロモーターとして知られ、出版工ージェントの実績も多い康さんは「ヤプーという作品は残った。そして私が断言しますが、今後、沼正三は永久に現れません」とも話している。