主体性を欠く朝日新聞(3)
ここでとくに、私が言っておきたいのは、そういう反対の記事が出だした時期についてである。
私がこの計画を発表したのは、前に書いたとおり一月である。英国の各紙が反対の記事を載せたのは八月中旬である。その間、半年以上、日本の新聞で、私のこの計画について一言半句批判を書いた新聞は一つとしてなかった(いくつかの週刊誌は、皮肉なタッチでからかったが)。
それが、英国紙の記事が出たとたんに、どっと出て来たのである。いったいどういうことなのか。批判があるなら、一月に私が計画を発表したときに書けばいいではないか。
要するに英紙の尻馬に乗らなければ、まともに批判することさえできないのが日本の新聞である。
後で詳しく書くが、そのおかげで、私の資金計画は大幅に支障を来したのだから許せない。
そして、これも後日の話だが、だから、いよいよネス湖に出発したとき、私はロンドンに着くや、すぐに朝日新聞ロンドン支局に乗り込んだものだ。
”オトシマエ”をつけてやらねばどうにも気が済まなかった。
「Mさんという記者はいますか」
「どちらさんですか」
「康です。おたくにいろいろと書いていただいた・・・・・・」
私は、記事のまちがい、朝日の記事には多分に意図的なものが感じられることなどを穏やかに訴えた。ところが、こっちが穏やかに言っていると、相手はノラリクラリ、返事にもならない返事でごまかそうとばかりするのである。
私はカッとなった。
「バカヤロー、アンタたちは、いったいネス湖に行ったことがあるのか。現場を踏んでから書くというのは新聞記者の第一歩じゃないか。ネス湖に行ったこともなくて、どうして、現地の雰囲気が冷たいなんてことが書けるんだ。ガキの使いじゃあるまいし、地元紙の受け売りなら何も、特派員でございってロンドンまで来なくたって日本で十分だ。アンタたちなんか外貨のムダ使いだから、とっとと日本へ帰れ!」
そうどなりかかったが、のどから出かかった悪口雑言を何とか呑み込んだ。
さすがに私の剣幕に恐れをなしたのだろう。朝日の支局員は、それ以後は言い訳ばかりしていた。
「あれは『ガーディアン』に出ていたとおり・・・・・・」要するに責任転嫁である。
自分の書いた記事に責任を持つことすらできないのか。私はアキれ果て、愛想も尽きて席を蹴った。
・・・・・・次号更新【激励してくれた福田、知らなかった田中】に続く
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