激励してくれた福田、知らなかった田中(3)
私は驚いてしまった。
「いったい、いつ、そんなことを勉強なさったんですか」
福田さんが大蔵省に入ったのは、二十四歳のときだった。すぐに福田さんが回されたのが、駐英日本大使館の財務部だったという。
「もう四十年以上前になるかナ」
と福田さんは懐しそうに眼を細めて語ってくれた。
休日になるとよく、スコットランドまで足を伸ばしたものだという。
そしてちょうど、その頃だったのである。ネス湖の怪獣の写真が撮られ、『ロンドン・タイムス』のトップを飾ったのは。
「だから、ネッシーのことはとても印象深く覚えているんだよ」
そしてまた、いろいろと説明してくれた。その記憶力の良いこと、私は舌を巻いてしまった。
そして福田さんは、「大いにやんなさい。なんなら、後援会長ぐらい引き受けますよ」と激励してくれた後で、こう付け加えるのを忘れなかった。
「しかし、キミ、これは叩かれるよ。だけど気にせず、やればいいんだよ」
不幸にして福田さんの予言は当たってしまったわけだ。
私は新聞に叩かれ、それまでOKしていたスポンサーが二、三下りてしまい、予定した二億円を集めるのが困難になったときに、一度は、福田さんの顔を思い浮かべた。
「後援会長ぐらいなってもいいよ」
と言ってくれた福田さんだ。福田さんに頼めばそのコネで、二億円ぐらいの金はいとも容易に集めることができるだろう、そう思った。
だが、結局、私は最後まで福田さんに頼むことはしなかった。もし、私が頼んだことで、朝日などに叩かれたら、福田さんに迷惑がかかるだけではないか。石原さんの二の舞いは絶対に避けるべきだと思ったのである。そして、それが、四面楚歌に陥った私を激励してくれた福田さんへの私の唯一の恩返しだったのである。
それにしても、福田さんがネッシーに理解を示してくれたことで私は勇気百倍した。私は着着とスケジュールを進めていった。
・・・・・・次号更新【激励してくれた福田、知らなかった田中(4)】に続く
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