虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
ボリショイサーカス(1)
いろいろな企画を神は興したが、成功した興行の代表は何といっても「ボリショイサーカス」だろう。これは、すでに私が神彰の会社に入る前に彼が仕込んで大成功をおさめていた。神彰を世に知らしめた興行といってもよい。しかし、この興行にも実はさまざまな裏の仕掛け人がうごめいていた。会場で拍手喝采して見ている観客たちの舞台裏で、異様な面相の人間たちが真剣な眼で駆け引きしあう実におもしろいからくりが存在していたのだ。単純にヤクザがどうのこうのという次元のものではなく、国際政治が複雑にからんだ、まさにスパイ映画を地で行くようなストーリーが隠されていたのである。
このボリショイサーカスを神が日本にはじめて呼んだのが昭和三三年。これは、日本中の話題をさらった。何といっても当時、日本はまだソ連と正式な国交がない時代だったからだ。国交のないソ連からこんな大規模なボリショイサーカスを呼んだ男、として神はマスコミの脚光を浴びたのだ。しかも、昭和三一年、鳩山一郎首相が引退の花道に「日ソ国交回復に関する共同宣言」を調印し、以来日本社会は親ソの方向に傾いていた。そんな時代の流れを読んだ神はさすがといえるだろう。しかもその公演は日本全国で大成功をおさめた。まだ娯楽が少なかった時代ということもあったが、千駄ヶ谷の東京体育館、九州・福岡の九電体育館など全国で毎回、大人や子供たちが毎回一〇〇〇入ほど入りきらなくて列を作る大盛況だった。入場料は大人が一〇〇〇円前後、子供が三〇〇円ぐらい。いまのお金で大人は一万円ぐらいだろう。もちろん、収支的にもこの興行は、ぼろもうけだった。通算六回、毎年日本に呼んで興行を打ったが、ざっといまの金額にして三〇億円ほどの利益を上げたと思う。とにかく、売上を計算するのもめんどうくさいほどもうかったのだ。
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— 康芳夫(国際暗黒プロデューサー) (@kyojinkouyoshio) September 8, 2020
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