虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
ボリショイサーカス(2)
千駄ヶ谷の体育館の事務室に夕方になると、勧業銀行の行員が金庫を持って現れる。当時、アートフレンドアソシエーションは第一勧業銀行の前身の勧業銀行が主要取引銀行だった。ボリショイサーカスの資金も最初は勧業銀行が融資していた。最初の頃は、というのは銀行が融資していたのは最初の数回分だけで、あまりにも不安定な興行の世界にどの銀行もリスクが大きすぎるといって融資しなくなってしまったのだ。
この勧業銀行にしても、当時、神が新型のフォードに乗ってさっそうと勧業銀行に乗りこみ、独特の手練手管でだますように融資をとりつけたのだ。当時はまだフオードに乗っている人間も少なかった。そんな演出で銀行を煙に巻いた。さすがは、満州浪人を経た一匹狼である。
夕方、グレーの背広を着たおとなしそうな勧業銀行の人間が、大きな金庫を九個か一〇個、持って数人現れる。その銀行マンがじっと見つめる前で、輪ゴムでくくった金庫に入れきれないほどの札束を、無造作にどんどん放りこんでいく。まるで銀行強盗が奪った札束の山を別の金庫に入れかえているようだ。その札束の一部を抜きだし「康、これで銀座行って遊んでこい」と私に投げてよこす。いくらあるのかわからないその札束をつかんで毎晩、私は銀座に繰りだすのだ。
・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く
---
昔、神彰という伝説的な興行師がいた。一九六〇年代に、ソ連のボリショイ・サーカスを始め、当時ではまだ珍しかった海外の呼び物を数多く催し、呼び屋の風雲児としてマスコミで話題になった人物である。 #康芳夫 pic.twitter.com/AXDBpq5vSm
— 康芳夫(国際暗黒プロデューサー) (@kyojinkouyoshio) December 16, 2019
---