ニッポン最後の怪人・康芳夫昭和四十四年

『ぜひ、あれを見つけ給え。あれこそは戦後最大の傑作だよ。マゾヒズムの極致を描いたまったく恐ろしい小説だ。出版する価値のある本だ』

そう三島由紀夫は小生に熱を込めて家畜人ヤプーの内容を語りつづけた。

康芳夫、三島由紀夫を語る(2)

そしてね、オレは途中で出て行ったんだけど、その後みんながオレの悪口を言ったらしいんだね。そいつらはみんな三島がかわいがってた連中で、当時流行ってた睡眠薬や特にハイミナールとかをいつも飲んでる、画家の卵とか、ファッション・デザイナーや小説家の卵とか、そういう連中ですよ。だから、僕個人との話し合いはそれなりに友好的だったんだけど、取巻き連中の悪口で非常に印象を悪くしたみたいだったんだ。オレには当時から芳しからざる評判といい評判もあったけど、どちらと言えば芳しからざる評判が多かった。女を片っ端からやっちゃうとか、ヤクをみんなに渡してどうのこうのとか。

それがどうしてわかったかと言うと、その後、もうオレは大学を卒業して呼び屋になってた頃だ。同級生が文春の編集部にいて、そいつに頼んで三島とホテル・ニュージャパンのロビーで会ったんだよ。そうしたら、三島がオレの顔を見たとたん、その同級生に「あの人もの凄いやばい人だよ」ってね。それで、オレの質問にはあまり答えたくないと。「今日はやめておこう」ということで、意味がわからなかったんだけどそのままそこで待っていたら、後でその同級生が戻って来て、「おい、お前えらい三島が印象を悪くしてたぞ」と。三島がかわいがってる連中はオレが当時イジめぬいてて、オレは当時それくらいエバってたからね。まあ、それは今でも同じだけど(笑)。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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