虚業家宣言:康芳夫

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神彰を引退させたマイルス・デイビス

そして、神さんと私が、最後に起死回生、頽勢を一気に挽回しようと計ったのが、あのマイルス・デイビスだった。モダン・ジャズ界の惑星として、生きながら神話の主人公となった、あのマイルス・デイピスである。

かつてアート・ブレイキーを呼んだときの経験が幸いし、話はトントン拍子に進んだ。

「デイビスの演奏にはものすごい生命力がある。よし、日本のジャズ・ファンに、これぞ、真の芸術だ、と言えるデイビスをぶつけてやろう」

私はそう考えていた。

契約完了と同時に発売を開始した入場券は、五千円というその頃としては法外な高値(この記録は、後にやはり私が呼んだトム・ジョーンズによって大幅に書き変えられるのだが)にもかかわらず、プレイガイドに届くか届かないかのうちに、アッという間に、強奪されるように売り切れてしまった。

私も神さんも、これで助かった、一息つける、そう思って、安心しきっていた。

ところが、意外な方面から、破綻が近づいていたのである。

忘れもしない、昭和四十二年十二月二十九日、官公庁の御用納めの日だった。デイビスの入国許可を求めていた私のもとへ、法務省から、返事の通知が届いた。

マイルス・デイピスの一行の入国は許可する。だが---付帯条件が一つついていた。マイルス・デイビス本人の入国は認めることができない。

「なんたることだ!」

かつて麻薬で逮捕されたことのあるのがひびいたらしい。ある程度、このことを危懼しないわけではなかったが、ずいぶんむかしの話なので、まさかと思っていたのが失敗だった。それにしても、デイピス本人だけ不許可というのだから法務省のお役人もふざけている。

私は、ある人物を介し、すぐに当時、幹事長だった福田赳夫氏のところへ、依頼に行った。

時の法務大臣・西郷吉之助氏へ、プレッシャーをかけてもらうつもりだった。だが、その日で年内の役所の事務手続きは一切ストップした、もはや、如何ともしがたい、それが返事だった。

実力者・福田赳夫の力をもってしてもムリだとなれば、もはやアキラめるほかない。

万事休す。

明けて正月の三日から、いっせいに切符の払い戻しが始まった。

街は正月気分で、なんとなく浮いていたが、それと対照的に、私の心は重く、暗かった。明るい展望は何一つ期待できなかった。あれほどひどい正月は、私の生涯で、それまでになかった。

ついに『アート・ライフ・アソシエーション』は潰滅した。負債総額は、前回をはるかに上回り、五億円近かった。

最後の夜、赤坂の事務所に二人だけ残されて、神さんと私は、いくぶん感傷的になっていた。神さんは、これで”呼ぴ屋”の世界から、完全に手を引く決心をすでに固めていた。

「もう、おれの時代じゃなくなったようだよ。だが、康クン、キミはまだ若い。まだやれるはずだ。これぐらいのことでツブレちゃいかん。負債はおれが引き受けるから、まだ頑張り給え。この世界には、まだ”男のロマン”が残っているよ。キミにふさわしい世界だ」

ブランデーがバカに苦かった。

その後、後で書くように、神さんと私は、裁判沙汰まで起こしてしまうことになるのだが、私は、あの夜、こういって私を励ましてくれた、神さんの好意を、決して忘れることができない。

私と神さんは残っていたブランデーで、乾杯し、握手し、そして別れた。

言葉どおり、神さんはそのまま、二度と”呼び屋”の世界には戻ってこなかった。

だが、神さんに指摘されるまでもなく、私は、もう、この世界の魅力、”虚業”の魅力にとりつかれ、離れられなくなっていたのである。

四年後の昭和四十六年春、私はクレイ戦実現のため、『プライム・オーガニゼイション』を設立、再び”呼び屋”としてカムバックすることになる。

が、それは後の話。『アート・ライフ』の解散と同時に、また一介の風来坊に逆戻りした私は、とにかく、何か、自分の情熱をかき立てる対象を見つけ出さねばならない。

・・・・・・次号更新【エロと残酷の研究誌『血と薔薇』】に続く

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