『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事:森下小太郎

『諸君!』昭和57年(1982年)11月号より

代理人になりきる

その翌日---従って出版記念会の行われた日の午前中、当時住んでいた神奈川県大和市の私の家に天野氏がすっとんで来た。電話もかけずにおっとり刀で現れて、

「森下さん、どうもお久しぶり」

前日、私が矢牧氏に話したのを聞いて、あわてて駆けつけたのであろう。

彼を用件をきりだした。

「実は『ヤプー』の件なんだけども、作者の秘密を知ってるのは、あんたと俺と吉田さんの三人しかいない。文学史の中には秘密があっていいと思うんだ。ついてはどうだい。二百万で手を打ってくれないか」

たまたまそこに、女房がお茶を持ってきた。気の強い女だものだから、この「二百万」を聞きとがめたのであろう、途端にまくしたて始めた。

「天野さん、それは違うよ。この世の中には賄賂もあれば袖の下もある。けど、そういうときは現ナマを積んで話をするものじゃないの。うちの主人が受け取る受け取らないは別なのよ。とにかく、二百万持ってこないで話をしたってなんにもならないよ」

すると彼は、

「いや、それは申し訳ない。実は私も出版のお金をまだもらってないものだから・・・・・・」

私もいってやった。

「百万だろうと二百万だろうと、金を受け取る気はないよ。だいたい、文学史に秘密があっていいかどうかを議論してるんじゃない。沼本人が、あんたが作者になりすますことを承知してるかどうかをいってるんだ。あんたと吉田さんと私と、沼を知ってる人間が三人いて、その中であんただけを沼さんが選んだってのも変な話じゃないか」

天野氏はなおも主張する。

「いや、私は沼氏から全権を委任されてるんだ」

「何か書いたものがあるの」

「書いたものはないけど、口頭で委任を受けてるんだ」

「それならそれで、あんたが何も私に金払うことないじゃない。沼との間で約束が出来てるんなら、どうして私に銭出すの?」

「いや、日本の文学史に秘密があってもいいんじゃないかと・・・・・・」

もう話にならないのである。

とにかく、金は受け取らんよ、というわけで、私の家で昼食をくった後、彼はそそくさと帰って行ったのである。

そしてその夜、あるいは翌日の夜だったか、女房とテレビを見ていると、『ヤプー』出版記念会の模様がワイド番組で流された。このとき天野氏はすっかり「代理人」になりきっていたのだ。

推測するに、拙宅から東京に戻る小田急電車の車中、この作戦でゆくことにしたのであろう。森下の口封じには失敗したから、自分が沼正三になりすますことは出来ない。かくなる上は「代理人」に甘んじるしかない、と---。

天野氏の当初の方針は「沼正三になりすますこと」であったとは、私の推測ばかりではない。その証拠もちゃんとある。

出版記念会と時を同じくして、『女性自身』が沼正三の特集を組んでいるのだが、そこに掲載された写真は、明らかに天野哲夫氏なのである。

つまり、同誌が取材し撮影したのは、天野氏が拙宅に駆けつける前、私との交渉が決裂する直前だった。にもかかわらず、雑誌はそのあとに発売されてしまったわけだ。

・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事:森下小太郎・・・連載9:「沼正三」を演技する】に続く