奇書「家畜人ヤプー」覆面作家はどちら?・・・読売新聞(昭和57年(1982年)10月2日)

「家畜人ヤプー完結版(ミリオン出版)」より---沼正三・・・7

先の、平民家庭でヤプーとして飼われるリンの視点からの情景が欠落したせいもあって、正続編とも、加虐をそれと意識せぬ貴族の驕慢が主になり、中下層平民の持つ陰湿な加虐欲が半人権の黒奴や人権のないヤプーに対してどう現われるか、に触れられなかった。また、『ある夢想家の手帖から』第八一章「プロジェクト<奴隷化>」で予告した幼児期訓練もどこかの植民惑星での情景として扱うつもりが、機会を逸した。それらの描写を通じ、サドの『ソドムの百二十日』が<マゾヒズムからの視点>を、<人を仰ぎ見る犬の視野>を全然欠落させているのをゆるがせにしたまま、これを「あらゆる性倒錯の総集編」などと誇大に偏重している世人の蒙を啓きたいと念じつつ、意余り有って筆が及ばなかった。・・・・・・小説としては、やはり未完のままだとも言えようか。

しかし、釣り落とした魚の話はもう止めよう。狙ったものでなくとも、とにかく何かを釣ったのだから。正編のあとがきで、私はこう記した。「法律・裁判・経済・貨弊・税制・軍隊・警察、教育・医療・教会、演劇・スポーツ・・・・・・イース世界百般の社会事象に関し、述べるべくして述べてないことは多いのである」と。このへんてこな小説の真の主人公は、クララでも麟一郎でもなくて、人種偏見と男性差別を制度化した百太陽帝国EHSである。続編の執筆に当たっては、当初の腹案の枠を守ることよりも、右に記した「述べるべくして述べてないこと」を少しでも多く盛り込み、前記の翻案的要素を増やしてでも、主人公の相貌(それは彼女から与えられたものだった)を明らかにするよう努めた。正編の各所で後章の記述を予想している、その八割方は何らかの形で触れたつもりである。

・・・次号更新【「家畜人ヤプー完結版(ミリオン出版)」より---沼正三】に続く

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