拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・22

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

櫻木 康さんが哲学に興味を持ったのはいつごろからなんですか?

康 哲学って意識したわけじゃないからね。何が僕を満足させるのかってことが哲学ならずっと考えてますよ。

櫻木 今までで納得できるとか自分に近いとか、具体的な名前って誰ですか?

康 僕はマルクス主義者でもナチス信奉者でもないんだけれども両者が現代を生きる人間にとって極めて根本的なテーゼを提供してるのは間違いないと思っています。今日、思索者が緊急かつ根源的に対応しなければならない思索的テーマとしてマルキシズムとナチズム、そして「宗教」と言うテーマがある。いうまでもなくマルキシズムもナチズムも歴史的、社会的、政治的にはあまりにも醜悪かつグロテスクな結末に終り、その観点からは「再生」の余地はまったくないと言ってよいでしょう。「宗教性」ということに関して言えば今注目されているスラヴォイ・ジジェクはキリスト教とマルクス主義の融合にフォーカスを絞っているし、我々は生来そなわっている東洋的叡智に基づき「仏教とマルクス主義」で行けばいいんじゃないかな。蛇足になるがマルクス主義者柄谷行人だって、宗教性、文化的伝統というような「エリメント」とそのうちに「融合作用」にかならず入りますよ。ところで某宗教団体あたりが盛んに唱えている「仏法社会主義」とやらはだめだよ。あれは調理法を間違えた長崎チャンポンといったところだ。

上杉 福田さんのことを言うのはそういう文脈なんですか?

康 彼のマルキシズムに対する考え方にも、もうひとつわからないところはあるんだけど、「生の哲学」としてのナチズムについての基本的な判断は根源的かつ的確だと思う。一方、フランスその他のヨーロッパ諸国のいわゆる「ファシスト思想家、芸術家」と見なされている人達に関しても彼等のメランコリー、ルサンチマンといった根源的感性に関して、きわめてユニークかつインパクトに満ちた「洞察」を下している。彼に対し、ネオファシスト、極右といった浅薄きわまるレッテルを貼りつけて満足している連中も多いが、彼はファシスト信奉者、極右とはほど遠いところに位置している。彼の本質はきわめてユニークなユマニスト人文教養主義者だ。それと矛盾することなく真正の保守思想家でもある。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

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