都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)

沼正三死亡説もあるそうだから、本人にしかできない古い話から始めよう:家畜人ヤプー普及版(都市出版社)より・・・1

初版本が好評で数刷を重ねた。全改訂版の普及版を作るから、今度こそ自跋を書け、と代理人天野哲夫君の厳命である。筆を執ったが、複雑な感慨がある。

沼正三死亡説もあるそうだから、本人にしかできない古い話から始めよう。

終戦の時、私は学徒兵として外地にいた。捕虜生活中、ある運命から白人女性に対して被虐的性感を抱くことを強制されるような境遇に置かれ、性的異常者として復員して来た。以来二十余年間の異端者の悩みは、同じ性向を有する者にしかわかるまい。昼の私は人と議論して負けることを知らなかったが、夜の私は女に辱しめられることに陶酔した。犬となって美女の足先に戯れることが、馬となって女騎手に駆り立てられることが、その想念だけでも快感を与えてくれた。被虐と汚辱の空想の行きつくところに汚物愛好も当然存在した。

祖国が白人の軍隊に占領されているという事態が、そのまま捕虜時代の体験に短絡し、私は、白人による日本の屈辱という観念自体に昂奮を覚えるようになって行った。かつては学徒兵らしく背嚢に『講孟余話』の文庫本をしのばせ、神国日本の護持を誓った私なのに、市ヶ谷の戦犯法廷に天皇が被告とされないことが決ると、ホッとしながらも物足らなさを覚えたものだ。断わっておくが、思想的に天皇制廃止論をどうこうということはなかった。天皇の神聖性は、それが戦争中の心の拠り所だったからこそ、その破壊が自虐的昂奮を喚起しえたのだろうが、その心的機制は今でも十分に明らかとは言えない。

久米正雄の「日本米州論」、志賀直哉の「フランス語国語論」が本人は大真面目の議論として総合雑誌を飾った時代である。日本人の人種的劣等感は正当視されていた。私は日本中が沖縄のように植民地化されたら、と妄想した。当時ナチスは狂気の集団と断罪されていた。理性ではそれに賛同しつつも、ナチスの人種理論は正しいのではないかという感じを捨てかねた。全面講和か否かが論ぜられ、一国民としては講和による占領状態の終結を期待しながらも、裸の人間としては占領継続をこそ希望した。Occupied Japan という字面の屈辱感を失いたくなかったからだ。こういった Ambivalenz に悩まされつつ、講和の日が来て、日本は独立国家に復したが、私の内心の屈辱願望は、被占領状態を失ってますます完全な隷属を求めるようになり、それだけいよいよ飢渇して行った。

そんな頃であった、私が『奇譚クラブ』という、奥野健男氏の初版本巻末解説の表現を借りれば「極めて真面目な」風俗文献雑誌の存在を知ったのは。奥野氏は、筆の綾からか、まるで廃刊したように書いておられるが、現在まで引き続き発行されている雑誌である。あらゆる種類の性的偏向者のカタルシスのための門戸を開いていたと言ってよいが、主力はやはり、いまいうところのSM(いまでこそその方面の愛好家にはこれで通るが、当時は十人に一人しか理解せぬ略語だった)であった。私は沼正三(ちなみに、これは Ernst Sumpf というドイツのSM研究家の名から採ったものである。Sumpf は「沼」の意)という筆名を用い『ある夢想家の手帖から』という題名で、内心の願望に即した随筆的短章の連載を始めた。当時はこの雑誌以外にこのような文章を発表しうる公刊逐次同行物が存在しなかったことは断言してよい。今でこそ「極めて真面目」と賞められるが、当時はきわめつきの「悪書」であった。いや、今でも多数の人にはそう言われるのであろう。猟奇の読物としてでなく、自己の性向に応じてのカタルシスのために、こういう雑誌を必要とする人は、いつの世にも絶対少数者なのだから。

・・・次号更新に続く