都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)

再び代理人天野哲夫君を通じて、. 今度はかなり進行した単行本出版の話を聞いた:家畜人ヤプー普及版(都市出版社)より・・・6

やがて『手帖』の稿も廃し、この方面に筆を完全に断った頃、天野哲夫君を通じて単行本化の話が持ち込まれたことがあった。十年前だ。こんな売れそうもない本の刊行を企画する出版社の気紛れに内心呆れながら、もし実現するようなら時勢に不都合な字句を削除訂正して、いわゆる In Usum Delphini を作らねばならぬのではないか、と案じた。だから、その計画が立消えになったらしいのも当然と思ったし、いつか心の片隅から追い出してしまっていた。

筆を折ってから、十年。身辺の怱々忙々は私に妄想に耽る余暇を与えず、イース世界の心象風景は、いつしか遠ざかった旅の記憶と化した。その間日本のGNPは世界第三位まで躍進した。だが、イースの宇宙的視座に一度戻れば、それは二十世紀地球の一角における畜群の繁栄というに過ぎまい。もう一度あの時間旅行をしてみたい。・・・・・・

そんな時、再び代理人天野哲夫君を通じて、今度はかなり進行した単行本出版の話を聞いた。生み捨てて親子の名乗りもしないでいた私生児のわが子が、養親の手で無事に成長し、生みの親の顔を知らぬまま健気に社会人とし巣立つのを見る思いであった。「改めて親子の対面はやはり控えておく。将来とも親と名乗るつもりはない。しかし陰ながら贐けの気持を」とかなり加筆と訂正をした。・・・・・・検閲に備えての鉛槧はしていない。時勢の推移はSMとSFを通語と化せしめた。性風俗についての正統と異端は今や逆転したかに見える。少なくとも「神は死んで」いる。もはや、険語の鬼胆を破ることを恐れなくともよいであろう。無削除で出せる機会があるなら掴もう。一度は捨てた沼正三の筆名が『ヤプーー』と『手帖』の単行本の著者名として残るなら本望だ。これが出版を承諾した時の偽らぬ心境であった(今後も、私は、これ以外のことにこの名を使う気持はない)。

・・・次号更新に続く