どのような理由で手紙のあて先を私たちの家にされたかは、聞いてません
森下氏が文通する際、とりついでもらったという長野地家裁飯田支部の事務官A氏(五八)は、二日は自宅を留守にしていたが、同氏の妻は読売新聞社の取材に対し「倉田判事が在任中、頼まれて倉田あてとなって家に届いた手紙を何度か、近くの官舎にお届けしたことがありました。どのような理由で手紙のあて先を私たちの家にされたかは、聞いてません。古いことなので、手紙の送り主や内容についてもはっきり覚えていない」と話している。
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「長野の地方紙といえば『信濃毎日』しかないんだから、そこに暗号文で三行広告を出せば、彼は飯田の本局までとりにくるでしょう」
実際、そうしてみた。ところが、これがすんなりとはいかなかった。局留め郵便物を受け取るには印鑑が要るのに、彼は「沼」の印鑑を持っていないからである。
彼はイライラしたことだろう。速達をよこして「実はこれこれしかじかで受け取れない」といってきた。私が「それでは当方で印鑑を作ってお送りしましょうか」と書いてやると、また速達をよこした。
「いや、あなたにそこまでしていただくことはできない。あなただけは信用することにして、次の住所宛てに出していただきたい。
飯田市江戸浜町県営住宅七号
原政信様方 倉田貞二(傍点森下)」
こうして、ようやく彼の居所が判明したわけである。
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