もうひとつの家畜人ヤプーの世界!!日本初の高級SMクラブ『家畜人ヤプーの館』
Amazon Kindle『家畜人ヤプーの館』
1970年、家畜人ヤプー全権代理人・康芳夫の全面支援のもと、日本初、伝説の高級SMクラブ「家畜人ヤプーの館」がオープンしました。家畜人ヤプーの館で起こる、著名人達の宴をリアルに記録した、家畜人ヤプーの館 支配人(著者)だから残すことが出来た、もうひとつの家畜人ヤプーの世界『家畜人ヤプーの館』
人は誰もがそれぞれの心の中に闇を抱えているのではないかと思う。光が射す表の世界と違い、心の裏側に潜在意識として蔓延している闇の世界、日常生活を過ごしている時には気付かない不安や怒り、悲しみ、痛み、嫉妬、呪いなどが渦巻く裏の世界、サド・マゾヒストの世界もその一つと言える。(『家畜人ヤプーの館』プロローグより)
著者:登口安吾(とぐち あんご)
本名、昆春夫。1946年生まれ 新潟県出身 明治大学法学部法律学科卒業 学生時代より飲食店を経営(バー、居酒屋、ショーパブ)。大学卒業後、本格的に飲食店経営を学ぶべく訪欧。帰国後、パブレストラン、ショーパブなど複数の店舗を企画・経営し成功を収める。その後、1970年日本初の高級SMクラブ「家畜人ヤプーの館」を家畜人ヤプー 全権代理人 康芳夫の全面支援のもと新宿にオープンする。客には、各界の著名人(作家・映画監督・役者・芸能人・マスコミ関係)が連日集まり独特の社交場となる。本書は、当時の「家畜人ヤプーの館」で起こった様々な光と闇の人間模様を綴ることによって先人へ向けた鎮魂歌を。そして現在を生きる人たちへのコンプレックスの源とは何か?との思いで記したノンフィクションである。
表紙モデル:フラワー・メグ
女優。スペース・カプセルでのショーをきっかけにスカウトされ、『平凡パンチ』などのグラビアを飾る。1971年、NETテレビ(現・テレビ朝日)『23時ショー』にカバーガールとしてセンセーショナルに登場。女優として新藤兼人監督の『鉄輪(かなわ)』など7本の映画に出演。アルバム『ささやき、ためいき、もだえ』をリリース。日本人離れしたセクシーな容姿で注目を集めたが、ちょうど1年間の活動の後、20歳で引退。近年再評価が進み、メディアに登場する機会が増えている。
『家畜人ヤプーの館』:第六章 誕生秘話 マスコミ招待の夜 より・・・その7
「竜さんから紹介された滝本です。丸木戸さんとお会いして、いろいろ相談するよう言いつかったので、参ったのですが」
と馬鹿丁寧なあいさつとともに、ぬっと異形の男が現れた。手入れが行き届いていない長髪をなびかせ、これまた伸びるにまかせた口ひげが垂れ下がり、山羊のような貧弱なあごひげをたくわえ、やせぎすな体にマタギのようなチャンチャンコを身にまとった男が、やや緊張気味に貞男の顔を窺うように見つめた。どうひいき目に見ても演出を手がけるタイプにほど遠い印象だったが、
「まあずっと木板桟敷(寺川修二が主催する芝居小屋)で芝居に携わってきまして、今は辞めて自分で劇団をやっているんですが、つい先日の『家畜人ヤプー』出版記念パーティーをお手伝いした関係で竜さんから話があったわけなんですよ」
と軽く頭を下げて笑顔を見せた。笑うと結構愛嬌があって親しみやすさを感じた貞男は、
「まあどうぞこちらにお掛けになって」と椅子を勧めコーラをテーブルに置いて「お茶のほうが良かったですか?」
「こうらこうら申し訳ありません。コーラで十分ですよ」
と茶目っ気を見せて、一気に瓶ごとさもうまそうに喉をならして流し込んでから、店内を眺め渡して、
「だいぶ手直しが必要ですね。まず奥の壁面はそれらしいものに変えましょう」と他にもコンピュータをフル回転させてるがごとく矢継ぎ早に提案をまくしたてた。
コーラを異常なくらい旨そうに飲んだあとのテンションの上がりっぷりは、さながら干天に慈雨あるいは気絶した人間が活を入れられたようで、貞男は呆気にとられた。後にその理由が明らかになるのだが、その時点ではつられて、
「責め道具はどうしますか? やっぱり鞭が基本ですよね? ギロチン、逆さ吊り用の滑車、明治大学の法学研究室で見たことがあるんですが、石責めの抱き石、舟形木馬なんかどうですか?」
と思いつくままの責め道具の名を口にする貞男だった。
・・・『家畜人ヤプーの館』:第六章 誕生秘話 マスコミ招待の夜 より抜粋