家畜人ヤプー【ポーリンの巻】より

隠遁作家のパフォーマティヴ:畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その10

いっぽう『ヤプー』完結編が物語るのは、当の麟一郎が地球への帰還を断念し(第三次世界大戦を経て日本が消滅することを彼はすでに知らされている)、あえてイースに残留しクララの肉便器(セッチン)にならんと自ら志願するまでのシナリオにすぎない。正編と完結編の執筆上の歴史には三五年の歳月が要されているが、物語上の時間軸においては、ほんの数日しか経過していないのだ。それは、地球において流れる時間がイースへ旅して過ぎた数日間にすぎないという時差に合致する。いみじくも沼正三は完結編「あとがき」で作者正体をK氏と同定しようとするジャーナリズムを再度批判しながら、にもかかわらず平凡社版『現代人名情報辞典』(一九八七年)が沼自身の意向を汲んでくれたことについて、「歳月は誤解を解く妙薬である」と述べたが(完結編、六五六頁)、それは、そうした三〇数年にわたるマスコミ騒動こそは地球時間にすぎず、作者自身はつねにイース時間におけるほんの数日をたゆたいつづけていたことの言明のようにも聞こえる。作家隠遁のレトリック最大のもくろみは、したがって誰よりも作家・沼正三自身が地球時間をあとにしつつイース的ユートピアそのものを、享楽的ウラシマ効果それ自体を生きるというパフォーマティヴにあったのではあるまいか。

・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く

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『潮』昭和58年(1983年)1月号:「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)

昭和五十七年、文藝春秋社の『諸君!』誌十一月号に、森下小太郎君筆になるスキャンダラスな暴露記事が、センセーショナルに報道された。筆者は森下君ではあるが、演出者は同誌編集長の堤堯君である。

沼正三は私である(「家畜人ヤプー」贓物譚)

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