逆ユートピアの栄光と悲惨・・・23
純然たる想像力の産物、しかも非存在、不在の要素ばかりを集めて創りあげられたユートピアの風景は、したがって、サルトル流に言うならば、人間の意識の自由性の最も高度な達成の証左でなければならない。しかし、ここには、サルトルの「状況(シチユアシオン)」というもうひとつの問題が介入してくる。平井啓之の言葉を借りれば、「シチュアシオンとは、《像(イマージュ)》従って想像力が、現実否定をその絶対的条件として要請しつつも、一方、いわば裏面から己れの否定する現実そのものによって支えられている事実を指す。たとえば、《夢》の場合、夢見る人の意識は、現実性への知覚を完全に喪失した特権的状態にあることは明らかであるが、しかしその《夢》の内容は、実は、厳密に、その夢見る人が生きてきた、そして又現実に生きつつある時間、空間つまりこの世界の限定を受けている」ということである。この文章の冒頭にあげた比喩にしたがって言うなら、現実の地面を離れて、遥かな虚空の果てまでゆらゆらと上昇した筈の気球は、一本の繋留索によって、しっかりと地上につなぎ留められていたのである。
・・・次号更新【逆ユートピアの栄光と悲惨:家畜人ヤプー解説(前田宗男)より】に続く
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