虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
赤い呼び屋(1)
こんなに濡れ手で粟をつかむようにもうかったボリショイサーカスを生みだした仕掛けが、実は二つあった。一つは神がこだわった「手打ち」という興行スタイル、そしてもう一つが「赤い呼び屋」と彼が呼ばれたゆえんでもある、ソ連との密接な関係である。
興行の世界には大きく分けて「売り興行」と呼ばれるスタイルと「手打ち」と呼ばれるスタイルの二種類がある。前者のほうは興行主が公演する会場までは手配しないで、公演を地方の興行主に売りわたしてしまう。後者のほうは公演会場まですべて興行主が仕切り、すべての会場での収支も責任を負う。つまり会場費もいっさい負担し、リスクも大きいが当然、会場でのチヶットやパンフレットの売上もすべて興行主側に入るので成功した場合は一番もうかるのだ。
神は後者の「手打ち」にこだわった。ハイリスク、ハイリターンである。これがボリショイサーカスの場合、何万枚ものチケットすべてを札束に変えてくれたのである。
・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く
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康はアングラマネーをかき集め、アメリカへ飛び、マフィア系のブローカーに一億円以上の手付け金を払って三十三台のインディレースカーと外国人ドライバーを招聰することに成功した。インディ500 表彰式 #康芳夫 #神彰 pic.twitter.com/PaDpBt1NCb
— 康芳夫(国際暗黒プロデューサー) (@kyojinkouyoshio) August 9, 2019
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