『血と薔薇』1969.No4

昭和四十四年

『ぜひ、あれを見つけ給え。あれこそは戦後最大の傑作だよ。マゾヒズムの極致を描いたまったく恐ろしい小説だ。出版する価値のある本だ』

そう三島由紀夫は小生に熱を込めて家畜人ヤプーの内容を語りつづけた。

康芳夫、三島由紀夫を語る(3)

それが第2幕。ちなみにその文春の編集者とは、今をときめく右翼的論客、堤尭君だ。

で、第3幕が例の『血と薔薇』を出す時ね。澁澤龍彦が責任編集。で、その下に立花隆君がいたんだが、編集長としての立花君は色々行き違いがあって実現しなかった。もし、実現していたら『家畜人ヤプー』と立花隆の組み合わせという大事件になっていたね。それはそれとして、三島が「戦後文学史上の最高傑作」と絶賛する『家畜人ヤプー』に関しては三島の推薦もあり、『血と薔薇』に載っけたらいいんじゃないかということになった。ところが、その作者が何者でどこにいるかも全然不明だと言うことがあって、それでオレが作者を探し当てて連載することになった。その時三島は『血と薔薇』の、実質的な最高顧問だったんだよ。だからその時にオレの名前が出たら、「ああ、あの人か」って、もう時間も経ってたしね、そんな不愉快な顔はしなかったらしいよ。三島は、『家畜人ヤプー』に関しては元々連載していた『奇譚クラブ』の切り抜きまで持っていた。色んな事情があって澁澤は3号で降りちゃったんだけど、立花隆の代わりに平岡正明が編集長になった4号目に『家畜人ヤプー』は掲載されたわけ。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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