学生相手に金集め(1)
考えてみると、当時の東大ほど、楽に金を集められたところはない。私はどんどん金を集め、じゃんじゃん使った。六本木、赤坂時代の幕開けの頃だ。酒と女・・・・・・私もまだまだ若かった。昼は学校で金を集め、夜は赤坂でそれをバラまいた。家庭教師週二回でいくらなどという学友の話はパカバカしくて聞いていられなかった。
どんな方法で金を集めたか?それを書こう。
まず、私は学内で二つの新しい組織をでっち上げた。組織の力をバカにしてはいけない。個人ではムリなことでも、組織の名を冠すればスムーズに運ぶことが多いものだ。一つは『文化連盟』、もう一つが『学内粛正委員会』。
スターリンの粛正政治が恐怖をもって伝えられていた頃で”粛正”という言葉はひじょうに効果的だった。組織の形が整うと、私はすぐに金集めにかかった。
その頃、学内で、よく金が集まるところが三ヵ所あった。一つは毎週末、第二食堂でやるダンス・パーティ。もう一つは卒業生名簿、これは官庁篇、会社篇に分かれた名簿を毎年発行し、各会社、官庁に売ったり、また広告収入によって莫大な収益を上げていたもので、『東大新聞』の財源となっていた。三番目が、受験生向けの『α・β』という雑誌。この三つが当時の東大における三大利権だった。これを全部いただこうというのが、こっちの計画である。
・・・・・・次号更新【学生相手に金集め(2)】に続く
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『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。
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