拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・7

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

末井 ロンダリングってどんな方法でやるんですか?

康 外国にいったん出して、まあスイスは規制が厳しいからカリブ海諸国のタックスヘブンとかに送って2回洗っちゃったら全然正体はわからなくなる。彼らは守秘義務があるし、それをオープンにしたらお客が逃げちゃうから絶対明らかにしない。

秋山 でも、たまに落ちてる。

康 え?

上杉 竹やぶとか。

南 少ないけどね(笑)。

康 本当に壮大なフィクション体系ですね。

末井 どこでロンダリングしてるのか調べたりするんですか?

康 某宗教団体がどうやってお金を集めてどのようにロンダリングしているかなんてことは掴んでいるけれど、みなさんには関係ないでしょ(笑)。

南 中学生ごろからお金はどういうものなのかって直感的にわかってたんですか?日本人じゃないところから見れるってあると思うんですよね。

康 フィクションとしてのマネーという実感は・・・・・・父が医者をしていたのですが、終戦後ある日突然お金が封鎖されたわけですよ。そのときほとんど紙切れと化しちゃうわけ。終戦のときにすでに紙切れになってたわけだけど。そのとき僕は子どもだったけれど、「お金って紙切れなんだ」と実感しましたね。

秋山 それが原点ですか。

上杉 ゲームと思われたのはどういうことですか?ゲームと思わない人の方が多いじゃないですか。

康 そんなことないんじゃない?今の一般大衆はバブル以来マネーゲームを意識してると思うけどね。

上杉 でも、そっち側になれる人となれない人がいるでしょ。お金のやりとりに関して感覚的にゲームと思えるかどうかという意味で。

康 村上ファンドをマネーゲームだと思っている人はほとんどですよ。

秋山 でも、実感が伴わない。

康 実感はね。

南 豊田商事はよくわからなかったから紙袋に重石を入れて実感を持たせようとしたんですよ。持てないほどの金なんて見たことないし。巨額な金のイメージがどこから来るのか。それを問題にしたときに実感がなくなると思うんだよね。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

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