拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・11

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

康 話が飛んでもいい?麻原が昔、僕のところにいたことがあるんだよ。インドに行く前に。

上杉 どういう形でいたんですか?

康 出入りしてたの。三浦和義もきたし。たまたまかも知れないけど殺人犯や殺人容疑者は俺のところに来ることもあるの。

秋山 面接なさるわけ?

康 いやいや、たまたまさぁ。オウム事件が問題になったとき、「ああ彼だな」ってわかったんだけどね。それだけの話なんだけど。

澁澤 若いときですね。

康 彼、一度パクられたでしょ。あのころです。それでインドに行っちゃったの「僕は宗教家になる」っていうから、それは自己責任でいいんだけれど、「宗教は場合によっては究極のラディカリズムにいくしかないけど、そこら辺をどう考えているのか」と言ったの。これは彼だけに言ってるんじゃないけど。

南 教唆ですね。

康 教唆と取るかどうかは・・・・・・。

南 頭悪いんですから(笑)。頭いい奴に言うならいいけど。

康 それは彼の問題であって担当検事から「康さん、いい加減なこと言わないでくれ」って間接的に注意されたこともあるけど彼が僕のところにいたってことは当時、TV新聞に出たから。随分いろんなところからいろいろやられたね。要するに僕がアジったんじゃないかというから、「何を根拠にそういうことを言うのか」と逆に言い返した。

澁澤 そのとき、どういう本を薦められたんですか?

康 何冊か渡してあげたんだけど、随分前のことなので詳しく覚えてないんだ。

秋山 そういう康さんは不完全とかいびつなものにものすごく愛情があるんですかね。

康 彼にはまったく愛情はないなぁ。ちょっと印象に残ってたところはあってね、事件が起こったときに「アイツか」ってことは思い出したんですよ。その程度、あれがなければ忘れてたね。

澁澤 印象に残るような人なんですか?

康 無理に思い出そうとしたところもあるんだけどね。

澁澤 麻原さんみたいな同じような人がたくさん来てたってことですか?

康 そうですね。ここで勝手ながらオウム問題に関して一言いわせて下さい。オウム問題は根源的にはなんの解決策も見出されていない。吉本隆明が麻原を「キリストの再来」と持ち上げたまま、その後彼はこの発言に関してはふれることなく今日に至っているが、麻原が法廷において一切の最終責任を明確に一身に背負いかつ完全黙秘を貫くことができたなら吉本発言をそれなりに容認するということもあり得たでしょう。然しながら、言訳に終始し発狂者を装う四流俗物の彼を目の当たりにして、いかにして「キリストの再来」であり得るのか。吉本はこの問題に関して適切な説明をせざるを得ないのではないか。僕は体制=市民社会の側が生理的次元での制度防衛策に基づき、例外として麻原に対し超法規的対処を実行するのはやむを得ないと思います。ロッキード田中裁判、赤軍派航空機ハイジャック等のケースも反対尋問の完全省略、服役犯の釈放等、緊急時の超法規的対応はすでに先例がある。然も司法関係者は一斉にだんまりを決め込んだのです。要するに一日でも早く麻原を縛り首にするしかないということ。独裁国はもとより、先進国、後進国を問わずいざとなったらリーガルプロセスなんて、その程度のものですよ。もうひとつ肝要なことは、いわゆる市民社会の側が宗教的倫理的にオウムをのり超える抜本策を編みだせないということ。このままだと第二のオウム事件を宗教的、倫理的には「予防」できない。こういう事態に例によって市民社会を代表すると称してマスコミに登場する「宗教ゴロ説教者」一派が戯れ言をまき散らしているが、これこそ社会的公害にすぎない。「福神」のグループも頑張ってほしい。見渡したところ一番たよりになりそうだ。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

---

福神研究所(ふくじんけんきゅうじょ)Twitter
センター:『Fukujin ~漬物から憑物まで~』明月堂書店

---