レフェリー・アリ、呼び屋・康氏・・・役者ぞろい!!:東京中日スポーツ(昭和54年1月26日)

レフェリー・アリ、呼び屋・康氏・・・役者ぞろい!!:東京中日スポーツ(昭和54年1月26日)

一勝九敗でもOK

虚業は浮き沈みの激しい仕事である。今日、勝利の美酒に酔ったかと思えば、明日は敗北の苦汁をなめる。しかしやがてそのアップダウンそのものが麻薬のような陶酔をもたらし、中毒にも似たものを起こす。一度はまると一生やめられなくなるのである。

野球やサッカーなどのスポーツのように、虚業の仕事は一つ一つの勝ち負けがはっきりしている。もっともスポーツと違うのは、勝率が高いことがすなわち成功とは限らないことだ。たとえ一勝九敗であっても、その一勝の勝ち分が九敗をあわせた負け分をしのげばビジネスとしては成功になる。虚業の仕事ほどんなに負げが込んでも、一発大逆転の可能性をいつも孕んでいるのだ。

もちろんその逆もある。九勝一敗でも、その一敗によって九勝のストックをすべて吐き出しスッテンテンになることもある。

そんな世界だから一戦に緊張がみなぎり、きわどい展開をとげるのが虚人人生の常である。楽勝などというものははなから存在しないし、仮に楽に勝ててしまうようなことがあれば、むしろ欲求不満の方がきっと大きくなるだろう。あくまできわどく緊張感を伴った勝ち方をしたいのだ。それゆえ虚人にとって勝利はいつも何物にも代えがたい快感と興奮をもたらしてくれる。つくづく虚人は冒険家と似ていると思う。

私は東大を出てから大企業のサラリーマンや官僚といった安定した道ははなから選ぶ気はなかった。今の時代、大企業といえどもつぶれてしまうことはいくらでもありうるのだが、それでもある程度の安定性は保障される。

会社がつぶれてしまえばサラリーマンは文字通り崖っぷちに立たされるわけだが、虚業にたずさわる人間、つまり虚人の道を選ぶということは、最初からそんな崖っぷちからのスタートを選んだに等しい。その緊張とスリルこそが自分をもっとも生かすと本能で感じたのだろう。

・・・以上、虚人のすすめ―無秩序(カオス)を生き抜け (集英社新書)より抜粋