拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・13
康 歴史的に考えて宗教家はよく言うじゃない。解脱したいときすればいいんだよ。したくなければそれもよし。語りたいときに悟ればいいんだし。釈迦が生きてりゃ教えてやったけど(笑)
上杉 それを釈迦に説法と言います。
一同 (笑)
康 これは柄谷行人といつも議論してるんだけど、なんで構造とか脱構築とか異人さんがデッチ上げた戯言にこだわるの?そんな目くそ鼻くそみたいなこと言ってたらそのうち死んじゃうぞって。然し、さすがに柄谷行人だ。虚妄と迷妄の悪夢からやっと醒めて、ユニークかつ正統的マルクス主義者に立ち戻ってきた。あとは「隠し味」として宗教、文化的伝統=ナショナリズム?等を加味すれば三位一体となって福川和也も西部邁もたじたじというところでしょう。やっと彼本来の姿に戻ってきたということです。浅田彰等も含めて彼等は何十年も鬼の首をとった気になって、構造、脱構築とかにこだわりつづけてきた。僕は初めから言ってるの。そんなクソみたいなこと考えるなって。本来的に人間は構造的に、そして脱構築的にできてるんですよ。それをいちいち定義付けるなんて、それは毛唐の浅はかな知恵であって、東洋人は毛唐と比べればそれなりの叡智があるんだから。
・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋
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『Fukujin ~漬物から憑物まで~』明月堂書店
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