もうひとつの家畜人ヤプーの世界:日本初の高級SMクラブ『家畜人ヤプーの館』
-『家畜人ヤプー』秘話-沼正三氏の死に際し:康芳夫(談話)新潮(2009・2)より抜粋-
戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の作者、沼正三さんと最後に会ったのは、彼が2008年11月30日に82歳で亡くなるニヶ月前でした。当時、彼は入院していたんだけど、病院に『家畜人ヤプー』のフランス語版の出版社の女社長を連れていってね。彼女は涙を流して感激したし、沼さんも非常に喜んでいました。
沼さんとの出会いは40年近く前になります。当時、僕は神彰(ブロモーター)と、「血と薔薇」という澁澤龍彦が責任編集する雑誌を作ったんだけど、その創刊時に三島由紀夫が熱烈に推薦してきたんですよ。『家畜人ヤプー』は「奇譚クラブ」というSM雑誌に連載(昭和31年~34年)されてたんだけど「完結しないまま10年が過ぎていました。
知る人ぞ知る作品で、それまでにも作者の沼正三に連絡をとろうとした者はいたんだろうけれど、誰も実現できなかった。というのは、あの雑誌は完全な秘密主義で、発行人の連絡先も大阪の私書箱だし、どうしようもないんです。
そこで、僕は特殊なルートで、「奇譚クラブ」のオーナーを探し出した。もう亡くなったから名前を出してもいいと思うけれど、蓑田さんという人で、大阪・北浜の相場師で大金持ちなんですよ。彼は別にSMに興味があったわけではないんだけど、大阪にはそういうパトロンの文化があるからね。で、最初は蓑田さんに断られたんだけど、結局、沼さんの連絡先を教えてくれた。
そうして、連載が中断していた『家畜人ヤプー』の続編が「血と薔薇」」第四号(昭和44年)に載りました。澁澤龍彦は発行元の天声出版と衝突して編集長を降りていたので、当時の編集長は平岡正明君でした。このとき、『家畜人ヤプー』が「奇譚クラブ」以外の場所で初めて活字になったわけです。ちなみに、これは余談ですが、文藝春秋を退社してフリーランスになっていた立花隆君は、実は私の推薦で澁澤龍彦の下での「血と薔薇」編集長に内定していたんです。ところが、諸々の事情の行き違いで、彼の編集長就任は実現しませんでした。彼がロッキード事件そのほかの田中角栄スキャンダル追及記事で大活躍する前のことになります。
僕が最初に沼さんに会ったとき、彼は40代でした。ああいうSMの世界の人たちはいろいろ知っていたけど、第一 印象は「陰鬱」というか、なかなか深い人だと思いましたね。「自分は沼正三の代理人ということにしておいてください」と言われました。初対面の日は新宿で深夜まで飲んで、いろいろ話したんだけど、まあ、やっかいな人物だと思いましたよ。やっかい、というのはその方面の趣味においてということで、一般市民としてはとても誠実で真つ当な人でした。彼は極端な躁鬱症で、鬱のときはほとんど死んだような状態でね。ニ時間でも三時間でも目が開いてるのかわからないくらいぼうっとしていました。
昭和45年、「血と薔薇」に続編を掲載した翌年、僕と矢牧ー宏がつくった都市出版社という会社で単行本にしました。そのころ僕はモハメド・アリの招聘なんかと同時進行でやってました。
刊行は大々的にやりましたよ。僕がプロモーターですからね。ところが発売から一年足らずで、都市出版社が右翼に襲撃されたんです。「康が宣伝のために仕組んだんじゃないか」って言われたけれど、そんなことはない。仕組もうと思っていたら、その前に本物が来ちゃった(笑)。右翼は逮捕されて、そのあとにお礼参りがあって、それも逮捕された。そのいきさつを朝日新聞がスクープして、週刊新潮が大きな記事を書いたり、NHKがニュースで流したりして、えらい騒ぎになっちゃってね。朝日の記事を書いた記者は佐々淳行の兄貴で、矢牧君の成蹊高校の同級生。実はわれわれの仲間だったんですけどね。
余談だけど、王貞治君が新宿の御苑に面したビルを持っていて、僕は王君をよく知っていたんで、その一階を借りて、「家畜人ヤプークラブ」っていうのを作ったら、これがめちゃくちゃに流行ってしまって(笑)。遠藤周作、吉行淳之介、立原正秋なんかが銀座からホステスを連れてきてましたよ。ところが、そこが盛り上がりすぎて、すさまじいことになりましてね。
・・・以上『新潮(2009・2)』より抜粋
---
もうひとつの家畜人ヤプーの世界:日本初の高級SMクラブ『家畜人ヤプーの館』
1970年、家畜人ヤプー全権代理人・康芳夫の全面支援のもと、日本初、伝説の高級SMクラブ「家畜人ヤプーの館」がオープンしました。家畜人ヤプーの館で起こる、著名人達の宴をリアルに記録した、家畜人ヤプーの館 支配人(著者)だから残すことが出来た、もうひとつの家畜人ヤプーの世界『家畜人ヤプーの館』
人は誰もがそれぞれの心の中に闇を抱えているのではないかと思う。光が射す表の世界と違い、心の裏側に潜在意識として蔓延している闇の世界、日常生活を過ごしている時には気付かない不安や怒り、悲しみ、痛み、嫉妬、呪いなどが渦巻く裏の世界、サド・マゾヒストの世界もその一つと言える。(『家畜人ヤプーの館』プロローグより)
著者:登口安吾(とぐち あんご)
本名、昆春夫。1946年生まれ 新潟県出身 明治大学法学部法律学科卒業 学生時代より飲食店を経営(バー、居酒屋、ショーパブ)。大学卒業後、本格的に飲食店経営を学ぶべく訪欧。帰国後、パブレストラン、ショーパブなど複数の店舗を企画・経営し成功を収める。その後、1970年日本初の高級SMクラブ「家畜人ヤプーの館」を家畜人ヤプー 全権代理人 康芳夫の全面支援のもと新宿にオープンする。客には、各界の著名人(作家・映画監督・役者・芸能人・マスコミ関係)が連日集まり独特の社交場となる。本書は、当時の「家畜人ヤプーの館」で起こった様々な光と闇の人間模様を綴ることによって先人へ向けた鎮魂歌を。そして現在を生きる人たちへのコンプレックスの源とは何か?との思いで記したノンフィクションである。
表紙モデル:フラワー・メグ
女優。スペース・カプセルでのショーをきっかけにスカウトされ、『平凡パンチ』などのグラビアを飾る。1971年、NETテレビ(現・テレビ朝日)『23時ショー』にカバーガールとしてセンセーショナルに登場。女優として新藤兼人監督の『鉄輪(かなわ)』など7本の映画に出演。アルバム『ささやき、ためいき、もだえ』をリリース。日本人離れしたセクシーな容姿で注目を集めたが、ちょうど1年間の活動の後、20歳で引退。近年再評価が進み、メディアに登場する機会が増えている。
---