虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
精神医学にひかれる(3)
高校時代フロイトの本を数多く読んだ私は、すぐにフロイト理論に疑問を持ちはじめていた。彼の「リビドー」という概念、つまり性的欲求が人間の人格形成の根幹をなしている、という理論に種々の疑問を持ったのである。その後、大学時代に、エーリッヒ・フロムに代表されるいわゆる「フロイト左派・ネオフロイディアン」たちが提唱する、人格形成と社会的要因の関係に特別な興味を抱いていたのだ。
フロイトの定義も基本的に重要なのだが、それだけでは問題は解決しない。いまでは当然のこととして受けいれられている「人格形成を決定するには社会的要因がきわめて重要である」という概念を当時の私は自分自身の中で確証として感じていたのだ。
そんな思いから、すぐれた教授がいる京都大学の医学部を志したのだったが、結局、生まれ育った東京を離れて京都に住む決心が最後までつかず、その夢は実現しなかった。しかし、精神医学に対する興味はいまでも変わっていない。フランスの精神医学者、ラカンの本やその他海外の精神医学者が書いた本などはいまでも精読している。フロイト、フロイト左派からラカン一派にいたる、精神医学界の大きくかつきわめてスピーディーに変化する動きには、大いに刺激され、かつ混乱しつつも、私の精神医学に対する「志」は少しも衰えることなく、現在にいたっている。私は精神医学のライセンスは保有していないが、いわゆる精神分析医、精神分析家がいまおかれている「情況」をはるかに乗りこえて、フロイト、フロイト左派、ラカン、ポスト・ラカンもすべて総合・総体化し、それを乗りこえた場所に到達しつつある。
・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く
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今や、多少ブーム去り気味の一連の脳科学。ネオスピチユアリズムにとって代わって禅ブーム、禅坊主ブームが来つつある。始祖とされる道元が、あらゆる「こだわり」「しがらみ」を捨てて捨てされと説きまくって以来、現代の禅坊主共が同じ事を唱えまくっているが、これはそもそも大まちがい。禅坊主共は一番のポイントがつかめていない。いわゆる自己撞着のワナにはまったままだ。
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