康芳夫———
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【虚業家宣言(6)】

◆『大西部サーカス』で大失敗

だが、私が入った頃が、突は『アート・フレンド・アソシエーション』のターニング・ポイントだったのであった。『AFA』には徐々に翳が落ちつつあったのである。

つまずきの初めは三十七年七月に呼んだ『大西部サーカス』だった。神さんの意気込みにもかかわらず、徹底的な不入りが続いた。このときの赤字だけで、一億五千万にも達した。そして三十八年暮も押しつまってから、突然、『AFA』創設時から神さんと行を共にしてきた数人の幹部が、金銭上のもつれから神さんに叛旗をひるがえし、辞めていった。彼らは、自分たちの非を棚に上げ、マスコミを利用して、神さんの悪口を言いふらした。

飼い犬に手を噛まれた神さんのショックは大きかった。当時の神夫人・有吉佐和子さんによると、それまでは毎晩、酒気を帯びて帰宅していた神さんが、毎夜、シラフで、しかもシラフであリながら真っ青な顔をして帰宅、家に入るなりべッドにころがり込んで、「これで『アート・フレンド』も終わりだ」と嘆息していたという。

神さん自身、私に向かって、

「こんなことをやっていて何になる。大衆を喜ばせるだけじゃないか」

なとと、グチをこぽすようになっていた。

昭和三十九年六月十六日、ついに『アート・フレンド』は倒産した。負債総額は四億円を超えていた。図書印刷、大和運輸、東急ホテルなどが大口債権者だった。神さんは借りられるだけの借金をしていた。自分の名前だけでは足りず、夫人であった有吉佐和子さんの名前すら使った。結局、そのことで、神さんは『アート・フレンド』倒産と同時に、熱烈な恋愛の末、結ばれた有吉佐和子さんとも離婚せざるを得ない立場に追い込まれるのである。

昭和三十七年、女流作家としてもてはやされ、すでに婚約者さえいた有吉佐和子さんをひっさらって結婚したときの神さんは、それこそ、得意の絶頂にいたと言っていいだろう。

それが、今や、億の借金を抱え、離婚。二人の間にはすでに三歳の玉青ちゃんさえいたのに。私は英雄の末路---といっては言い過ぎだが---を、そこにこ見ていた。

今から考えると、その時点で神さんの”呼び屋”生命は終わったのであった。その後の神さんには往年の覇気が感じられなくなっていた。

『アート・フレンド』は倒産したが、神さんと私はすぐに別会社の設立に踏み切った。『アート・ライフ・アソシエーション』がそれである。神さんは、できることなら、このまま、この世界から手を引きたいような意向をもらすこともあったが、私はすでに”虚業”の魅力にとりつかれていた。むしろ私が、神さんをひきずるような形で『アート.ライフ』は誕生した。社長が神さん、私は副社長だった。

私にはやってみたいことが山ほどあった。

しかし、『アート・ライフ』には資金がまったくなかった。

一度ツブレた神さんに金を出してくれるほど世間は甘くない。私と神さんは、まず金集めから始めなければならなかった。多少でも資金のメドがつくと、再びアート・ブレイキーを呼んだり、『ヘンリー・ミラー絵画展』を開いたりして、文字どおりお茶をニゴしていた。

せっかく再建した『アート・ライフ』だったが、経営的には二進も三進もいかなくなっていて、神さんにも、もはや往年の神通力はなかった。

・・・次号更新【『カシアス・クレイ』】に続く

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