虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より

総長に詰めよる(3)

企画委員長になった私はさっそく、三つのイベントの柱となる企画を考えついた。一つが、東大ではじめてのモダンジャズフェスティバル。そして二つ目がアジア・アフリカ諸国大使の講演会。そして三つ目が「新しい芸術の可能性」というテーマのティーチインだった。

そして、これらイベントすべてが東大はじまって以来の話題を呼ぶと同時にさまざまなトラブルを巻きこんだ事件に発展したのだ。

まず、私が提案したジャズフェスティバルの開催を大学側は拒否してきた。企画委員会の提案に対して、教授会が「ジャズは社会的に認められていない」と許可しなかったのだ。私はこの回答に激怒した。そして即座に「なぜ、だめなんだ」と教授会に詰めよった。

まだ、当時、大学祭でジャズコンサートを開催した大学はなかった。コンサートはクラシックだけ。ジャズはまだ、健全なる学生には好ましからぬ音楽、という保守的な時代だったのだ。特に日本を代表する国立大学の東大ではジャズなどもってのほか、というのが教授会を代表する当時の総長・茅誠司の言いぶんだったのだ。私は、教授会に乗りこみ、全員の前で「これは黒人のつくった素晴らしい芸術に対する冒涜で偏見だ!」と熱弁を振るって総長に詰めよった。

いままで禁止していたから、という以外に明確な反論が出せぬ総長は、それでは実行委員会の選挙で決めよう、と民主的な逆提案を出してきた。当然、反対多数で中止になるだろうと決めこんでいたのだ。しかし、結果はわずか二票差で、開催が決定したのだ。かくして、東大はじまって以来のジャズコンサートが実現したのである。

・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く

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東大 五月祭 小生が五月祭委員長をした時代を 東京大学新聞 がインタビュー

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証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第3話「「五月祭」でジャズ・フェスティヴァルをプロモート」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第3話「「五月祭」でジャズ・フェスティヴァルをプロモート」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

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