沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)

劇的な人生こそ真実―私が逢った昭和の異才たち

沼正三のプロペラ航空機・・・7

入ってきたのはグレーのジャケットを着た中年のサラリーマン風の人物だった。顔の皮膚が少し荒れているなぁ、と思うぐらいで、特別変わった人ではなかった。この人があの小水を飲んだ人なんだ。そう思うと、何故か顔を正面から直視出来ない。本人はいたって普通の対応だ。ただ、とても小さな声でゆっくり話す。積極的に他人と関係を持って付き合うような感じの人ではなかった。アングラ演劇の素性の分からない若造に呼び出されたので、まあ付き合いで会ってみようか、ぐらいの感覚だったのではないか。私も当時あまり人付き合いのいい演出家ではなかった。だから本当は何をどう話していいのか分からなかった。私が幼いことを2、3質問して、沼さんが誠実にぼそぼそと答えてくれた。緊張していたので、このときの会話はすっかり忘れてしまった。

そのうち、沼さんが古風な柄の風呂敷に入った原稿用紙の分厚い束を、テーブルの上にそっと出した。自分が書いた小説だという。見たところ大長編だ。

多分私は、すごいですねえとか言ったのだと思う。意外な気がしたのだ。

何しろ当時の私は、映画の中の男を日陰に生きる桁外れの変態と思って構えていたからだ。小説を書いている人物とは。まったくの想定外だった。

私は恐る恐る手を伸ばした。すると沼さんはどういう訳かすっと原稿を引っ込める。あれっと思った。又何か一言二言呟いて原稿を私のほうにゆっくり差し出す。又私が受け取ろうと手を伸ばすと、さっと引っ込めてしまう。

この奇妙な何度かの動作は忘れられない。大事なものだからうっかり読まれて口から口へと伝わるのが嫌だったのか。内容が極秘扱いだったのか。チラッとしか見れなかったけど、挿画のようなものがあって、人間がイスに変身しているようにも見えた。

別れ際、沼さんは大事そうに原稿の束を丁寧に風呂敷に包んで両手で持った。出して引っ込める動作は、結局どう解釈していいのか分からずじまいだった。

その後、その時の原稿が出版された。あれがそうだったのか、であった。どこかの政治団体が騒いだというニュースもあった。なにしろ日本人と思われる民族が白人女性の家畜のようになっているのだ。勿論思想が問題視するのは頭の中のことだ。ライティズムであれレフティズムであれ身体は常に無視なのだ。『家畜人ヤプー』は身体が導いた世界なのである。

思想や政治が騒ぐとは笑止である。

・・・次号更新【沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)より】に続く

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