沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)

劇的な人生こそ真実―私が逢った昭和の異才たち

沼正三のプロペラ航空機・・・14

相手役はどうしよう。私は男の控え室に飛び込んだ。若い男が数人タバコをすっていた。

「誰か便器になってオシッコのんでくれないか」

そう話しかけると、中の若い1人の男が、

「いいですよ」

と言っておずおずと手を上げた。

雑誌を読んで応募してきた都内の大学2年生だった。どこにでもいる内気そうな青年だ。

私は内心どきどきしながら、

「じゃ、パンツだけになって」

と平静を装った。

彼の頭に便器の形をした布製のものを被ってもらった。この特注の便器型の立体覆面は人形作家の辻村ジュサブロー(現・寿三郎)さんに作ってもらったものだ。こんなモノをよくもまあ上品な人形作家に発注したものだと思う。

会場はもう立錐の余地もない。混乱のきわみである。私はなんとか中央に小さなスペースを確保して照明を落としてもらった。

芦川さんは、犬になった大学生を悠然と従えて踊りながら出て行った。賢夫人が犬の散歩に出かけるような優美な振る舞いだった。犬になった男のほうも神妙な顔で従順を演じている。

人前に出た瞬間、芦川さんは見事に豹変する。何年も前から自分がそこに登場することが決まっていたかのようである。

カメラマンが火事の現場のように集まる。人の輪が狭まってくる。はじめは腰をかがめていたカメラマンが、みんな立ってしまう。そうなると他の客は何も見えない。

芦川さんの動きが止まる。男が床に寝そべる。始まったらしい。というのは、私も人垣しか見えなかったのだ。

・・・次号更新【沼正三のプロペラ航空機:劇的な人生こそ真実(萩原朔美:著)より】に続く

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