『滅亡のシナリオ』:プロデュース(康芳夫)

プロデュース(康芳夫)
ノストラダムス(原作)
ヒトラー(演出)
川尻徹(著)精神科医 川尻徹

滅亡のシナリオ(12)

聖書は、千年王国建設のための計画書だった!

さらに彼は、第一次大戦中の一九一五年の秋にも、イーブル近くの戦線でまた、神秘的な体験をしている。

------

「突然ある声が『立って向こうへ行け』と私に命令した。その声があまりにも明瞭に何度も繰りかえされたので、私は機械的に命令に従い、二◯ヤードほど移動した。そのとたんにさっきまでいた場所に流れ弾丸が炸裂し、私のグループはひとり残らず死んでしまった・・・・・・」
(同書、七三ページ)

------

その後でヒトラーは『私は言葉の巣に手を伸ばして、善なる人、正しき人に、わが呪文によって祝福と繁栄を与える」という奇妙な詩を書き、数週間後、戦友に向かい、『諸君はやがて私の噂をしばしば耳にするようになるだろう。私の時代が来るまで待っていたまえ』と言ったそうだ。彼が自分を、神の啓示と恩寵を受けた予言者であると思いこんだことは、これらの宗教的な体験から、確実に推測できる」

川尻博士の言葉は自信に満ちていた。

「すると、彼は自分が民衆を導くキリストのような存在だと思っていたわけですか」

「というよりも、キリストの降臨を伝えた予言者パウロかな。反ユダヤ的な立場をとったことからして、マルチン・ルターの再来と思ったかもしれない。いずれにしても、彼は早い時期から宗教的な意味でも指導者(フューラー)として世界を改革しようと思っていたわけだ。そうすると、どうしても聖書だ。で、聖書とは何かという問題になる」

博士は、今度は旧約と新約の聖書を採り上げた。

「旧約とか新約の”約”は契約のことだ。新約の場合、この世に救世主メシアが現われるという旧約の予言が成就した後、神と人間の間に交わされた新しい契約という意味だな。で、その契約の根本とは何かというと、この世で神の正義を行ない、神の国---いわゆる至福千年の王国を築くということだ。ただ神を信じるのではなく、これを実行するということが、すなわちキリスト教信仰なのだよ。

最近の聖書学の研究では、聖書とは過去に起こったことを述べ伝えたものではなく、未来に向かって、千年王国を建設するための計画書であり、プロパガンダ(宣伝)の書だという説が叫ばれるようになってきた。これは正しい見方だと思うね。

聖書がなぜあれほど読まれるかというと、人々は無意識のうちに、書かれたことが自分たちの指針だと理解しているからなんだな。たとえば、ユダヤ教の中のユダヤ真教などというのは、聖書---この場合は旧約のほうだが---に書かれたとおりに行動することが真の信仰だとして、聖書を行動の指針にしている。

では、そのように、聖書とはそういった神の王国を建設するための計画書であり、設計図である---とヒトラーが悟ったとすれば、神の恩寵を受けたと自認するヒトラーのめざすことは決定づけられている」

「自分が神の子として、聖書をもとにこの世に千年王国を建設しようとしたわけですね。・・・・・・でも、それが、彼の築いたドイツ第三帝国だったのではないですか」

「違う」

川尻博士は、中田の言葉を言下に否定した。

・・・・・・・・・次号更新【大破滅への布石---第二次世界大戦】に続く