虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
お坊ちゃん学校に入学(3)
私は、当時スイス人との混血の息子とも仲が良かった。父親は日本人で東洋ゴム会社の米井社長、お母さんがスイス人で番町の高級住宅地に住んでいた。よく自宅にも遊びにいったりした。スイスは本来中立国なのだけれど、街を歩く当時の日本人にはアメリカ人もスイス人も見分けがつかない、だから、あちこちで「おまえは敵国のスパイだ」などと、いろんな日本人にからまれる彼らも毎日いやな思いをさせられていたのだ。そんな同じような境遇もあってか、彼とは非常に仲良く遊んだ。家族のディナーにも招待されて、当時めったに食べられない本格的スイス料理もご馳走になった。この味はいまでも鮮明に憶えている。子供のくせに高級な白ワインなんかも飲んでいた。その後、彼はアメリカに留学して一時、日本に戻ってきていまでも六本木でフレンチレストランをやっている。
・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く
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