真剣勝負から生まれた友情(2)

虚業家宣言:康芳夫

スイスのジュネーブから車で五分、国境を越してフランス領に入ってすぐのところに、デュ・ポンという村があり、そこにカジノがある。ロスチャイルドが株の七十パーセントを握っており、そこでは無制限の賭けもやらせている。世界中からミリオネア、ビリオネアが集まり、とくにイタリアの石油成金は、たいていそこへ行って遊んでいる、そういう話だった。

私は、すぐチューリッヒへ飛び、翌々日の夜は、もう、そのカジノ・デュ・ポンにいた。

最初の夜、私はアッという間に一万ドル負けていた。例のピンクのチャイニーズ・ドレスをまとい、見る見るうちにチップの山を崩していく男が、よほど、異様に見えたのだろう。私の台の回りにはいつの間にか人垣ができていた。

「ジャップか」

「いや、チャイニーズだろう」

囁きが私の耳にも入った。

翌晩、私は、また一万ドル負けた。

三日目になると、もう、私の台では誰も勝負しなくなっていた。私は、専用の台でただひとり悠々と張り続けた。

金を使うということは実に難しいものだ。

その晩は、前の二晩とは違って、ツキは私の方に回っていたらしい。いつの間にか私の前にはチップの山が築かれていた。見境なく適当に張っているのだが、おもしろいように当たってしまうのだ。

「こんなハズじゃないぞ」

と思っているうちに、いつの間にか、私は七万ドルばかり儲けていた。

最初の予定では、一週間できれいさっぱり使い切る予定だったのだが、そんなこんなで、結局、丸二週間かかって、私はやっと金を使い切った。

終わりに近い頃は、毎晩大金を湯水のごとく賭ける”ピンクのチャイニーズ・ドレスを着た男(つまり私のことだが)”は、カジノ・デュ・ポン中の話題になっていた。

八日目の夜、その夜も私はひとりで張っては、負けたり勝ったりしていたのだが、私の台にひとりの男が近づき、慣れた手つきで張り始めた。ごくありふれ
た黒のスーツを着込んでいる。目の黒い一見してイタリア系だとわかる顔立ちであった。その男は必ず、私の張ったのと同じ数字のところに、私の倍の金額を賭けるのである。

「どういうつもりなんだ。いったい、こいつは何者なんだ」

今度は、私がいぶかしく思う番だった。

・・・・・・次号更新【真剣勝負から生まれた友情(3)】に続く

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『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。

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