奇書「家畜人ヤプー」覆面作家はどちら?・・・読売新聞(昭和57年(1982年)10月2日)

その際のあて名は「倉田卓二」だった

森下氏が同誌であげた論拠によると、森下氏は二十六、七年前大阪で発行されていた「奇譚クラブ」の寄稿家で、「沼正三」もエッセーを同誌にのせていた。この「沼氏」が森下氏に文通を申し出て、長野県飯田市に住む人を取次人として指定してきたが、その際のあて名は「倉田卓二」だった。

文通は十年間続き、多い時は週三回といったこともあったが、森下氏によれば「奇譚クラブ」に連載中の「ヤプー」の構想が記されていたり、登場人物の名前などが森下氏のヒントで決めたとしか思えないものもあったという。

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『諸君!』昭和57年(1982年)11月号

『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事

実をいうと、「あいつが沼正三だ」といわれる人物がいるにはいる。その人物自身も、お前が沼正三かと問われて否定するでもなく肯定するでもなく−−−早い話が「沼正三らしく装っている」のだ。

しかし、この男が沼正三でないことを私は知っている。私は、たった一度ではあるけれど、沼正三に会っているのである。

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