拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・16

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

澁澤 今の日本のなかのちょっとした宗教ブームで言われているのはそれを指しているんですよね。解脱じゃないけど安心やちょっとした悟りのようなものを目指す、癒しとかそうい うものだと思うんですね。

康 僕の昔の友だちの栗田勇なんかは「捨てろ」ってことにこだわるわけ。捨てちゃえば・・・・・・っていうの。これも全然わからない。彼も頭が呆けちゃったからね(笑)。最近会わないし。彼も最初、劇的空間を書いた頃はエキサイティングだったけれど、このところ道元、一休あたりにはまりすぎちゃったな。

上杉 偉くなっちゃいましたよね。

康 偉くはなってないでしょ。もう一人、彼の東大仏文科同級生で、僕の大学時代のフランス語の先生で森本和夫って人がいるの。

上杉 森本さんは偉いですよ。

康 もちろん、この人はなかなか偉い。いろんな意味で教えを受けた人なんだけど、僕はどんな人からも「影響」を受けるということはないが、彼からは全体的社会構造を考える場合の大きなヒントを得たね。この場合の全体はいわゆる全体小説の全体と同じような意味。僕が二十才頃のことだけれどその後に思考を展開する時、非常に役にたったということです。サルトルをほとんど訳している人で。組合運動で朝日新聞をクビになって。当時二十七才ぐらい、あんまり若いんで学生だと思ったら先生だった。東大定年後、駿河台大の教授になって、今はお坊さんになっちゃったけど。彼は、今では禅坊主ということになっているが、当初から根源的レベルで「全体」を捉えている数少ない思索者の一人と言えるでしょう。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

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『Fukujin ~漬物から憑物まで~』明月堂書店

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