虚業商法十カ条:第八条『勝負には常に勝て』(2)
ところが、一度、たった一度失敗したら、どうだろう、再建した『アート・ライフ』は、初めから最後まで資金繰りに汲々としなければならなかった。クレイが来日すると言っているのに、そのための、わずか百三十五万円の航空券代がないのである。以前の神さんにとっては一日の小遣といってもおかしくない金額だった。
神さんはあらゆるところで断わられ、最後には、かつて親密だった、ある女将のところまで金を借りに行った。そして、あげくの果てには、その女将にすら断わられたのであった。
「オイ、だめだったよ」
ひどい雪の中を、車にも乗らずに事務所まで歩いて帰って来たあのときの神さんの姿こそ、まさに”敗者”の姿だったろう。
結局、資金繰りに悩んだ末、『アート・ライフ』もまた倒産してしまった。
以後の神さんは、再婚した平野義子さん(元農林大臣・平野力三氏の二女。昨年十二月ガンのために亡くなった)とともに新宿で麻雀屋を経営し、私と神さんの共通の友人某氏によると、「早い時間から、麻雀屋に姿を出し、ポツンと座って客の麻雀を見ている。昔日の面影はさらさらない。かつて神さんの表情にみなぎっていた闘争本能も、毛ほども感じられない。これが、かつての神彰だと見分けのつく人は少ないだろう」
神さんの顔には”敗者”の哀しみが刻み込まれているようだとも言う。
私と神さんはクレイ戦のことでケンカ別れになっていた。
だが、義子夫人が亡くなったとき、私は、どうしても神さんのところへ行かずにはおれなかった。通夜の夜である。久しぶりで会った神さんは、元気がなかった。そのことについては二人とも、敢えて話そうとしなかったが、私と神さんとの間のわだかまりは、あのお通夜の晩を境になくなったと思っている。
神さんが、もう一度”勝者”として登場する日の来ることを私は祈っている。
・・・・・・次号更新【虚業商法十カ条:第九条】に続く
※虚業家宣言 康芳夫 虚業家宣言 クレイをKOした毛沢東商法 バックナンバー※
---
『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』
真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。
---