再びクレイへ

モハメッド・アリ興行ポスターの前で

モハメッド・アリ興行ポスターの前で

そのまま、出版の世界で仕事を続けていたら、今頃、私は『KKベストセラーズ』の岩瀬順三社長ぐらいにはなっていたろう。続々とベストセラーを出し、億の金を手にする自信は、私には十分あった。

だが、”虚業”的だとはいえ、出版には一つ重大なものが欠けていた。”虚”が”実"へと転化していく過程でのワクワクするような興奮と陶酔が出版をやっていても少しも感じられなかったのである。

私は、徐々に出版プロデューサーの仕事に情熱を失ってきつつあった。

そんなときである。ビッグニュースが私の耳に飛び込んできたのは。

昭和四十五年九月半ば、ニューヨーク連邦地裁は、「クレイからボクシングのライセンスを取り上げたことは誤りだった」という判決を下したのである。

昭和四十二年四月二十八日の入隊の日、入営を拒否、一審で敗訴して以来、クレイは長い裁判闘争を戦い続けていた。初めのうち、クレイに勝ち目はないように衆目が見ていた。それまで徴兵忌避裁判で忌避者側が勝った例は皆無だったからである。

が、昭和四十五年夏頃から、事態は変わりつつあった。長期化したベトナム戦争、アメリカ国内にみなぎってきた厭戦気分。世論は微妙に変わってきていた。それを反映したように、連邦地裁の判決がおりたのである。

クレイがボクシングの世界に戻ってくる!

また試合ができる!

私は久しぶりに味わう興奮に、自分の血が沸き立つのを覚えていた。

デイ・ドリームは復活した。

もう出版どころではない。

宮本顕治も池田大作も、『家畜人ヤプー』も児玉誉士夫も、私の頭からは消えていた。

私はなんとか金をかき集めると、すぐにニューヨークへ飛んだ。前回の経験から、直接交渉がいちばん早く、かつ確実であることをイヤというほど思い知らされていたからだ。

ニュースを聞いて、わずか二日しかたっていなかった。

・・・・・・次号更新【第四章 ついにクレイが来た!】に続く

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『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。

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