虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝/康芳夫(著)より
ガラクタの生命力・武者小路実篤に会いに行く(3)
私は、その頃から何事にもものおじしない性格だった。それまでのさまざまな経験がそうさせるのか、生まれ持った性分なのかはわからないが、どんな有名人でも偉い人間でも、対等の視線で話ができる。また、それが正しいことだ、という信念があった。もちろん、謙虚に頭を下げるすべも知っていた。しかし、決して腰は引かなかった。
当時の武者小路実篤には、ふつうの出版社の人間でもなかなか会えない。そこを、何の準備もなく調布の自宅に乗りこんでいってお願いしたのだ。意外にも、先生は「君、よく来たね」と気軽に原稿を書いてくれた。もちろん原稿料も払っていない。たった一ページだったが、いまをときめく武者小路実篤の原稿を、高校生が作った無名の同人誌が掲載した、ということで大変な話題になったのだ。しかも、不良高校の名うての悪餓鬼が編集長、というおまけもつく。
・・・次号更新【『虚人魁人 康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』 official HP ヴァージョン】に続く
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初めて康芳夫に出喰わしたのは、昭和四十七年だったと思う。
焼けたホテル・ニュー・ジャパンの裏に別館があって、貸事務所になっていたのだが、舎弟のひとりがここで金融をしていたので、私は赤坂に住んでいた頃から、ちょくちょく顔を出していた。この別館の貸事務所に入っていたのは、いずれも一筋縄ではいかない怪しげな連中で、その当時はここにいるということが、一流の仕事師のステイタスだったほどだ。
康芳夫も、この別館に事務所を開いて、後にモハメッド・アリになるカシアス・クレイの試合を、東京でやるとぶちあげて再び時の人になっていた。
異相の呼び屋・康芳夫:「欺してごめん」安部譲二:『異相は、笑っても異相』
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